日記帳 2009-05


2009-05-24

『新常用漢字表(仮称)』案への意見

 について送った内容を公表しておきます。new-joyokanji-090413.pdf。要旨は次のとおり。

2009-05-24

Japanize GNUStep Applications

 なんてことをやっています。大抵の場合、GWorkspaceやGNUMail、Affiche、Cynthiuneなどでは*.app/Resources/Japanese.lproj/Localizable.stringsを作ればなんとかなります。InkとかPreview、Vindaloo(ViewPDF)の場合はGormを使って直截修正します。日本語化した画面はこんな感じ。

GNUMail GNUstep

 問題はTextEditでして……。こいつだけはgormを変えると『新規作成』が動かなくなります。まあ、そのままでも日本語が通ったりするので、英語のままでも支障は無いんですけどね。ファイルはlocale archive(for Debian sid)に置いておきますので、適当にどうぞ。

2009-05-20

SCIM-Anthy用FMV-KB211/611設定

 Debian sid(Unstable)のlenny公開に伴ってExperimentalから大量のパッケージが降ってくる。x11とか。こういうのは大抵問題になるので、しばらく避けていたのですが、xserver-xorg-video-*が大体落ち着いたころに更新。……案の定というかなんというか問題に。

 以前のX11ではキーボードやマウスなどの管理はX11で行っていたのですが、X.org 7.4ではLinux側で認識したデバイスをそのまま使うように変更されました。どうもconsole-setupの結果がおかしいので、/etc/default/console-setupのXKBVARIANTとXKBOPTIONSをコメントアウト。

 ちなみに、私はFMV-KB211というキーボードを使っているのですが、FMV-KB211/611ではXKBOPTIONS="ctrl:nocaps"などは使ってはいけません。数字キーなどを入力した際にキーコード66(Eisu_toggle)を発行するため、システムがEisu_toggleを認識できるようにする必要があります。あと、Eisu_toggleでCaps_Lockがかかるような状態だと、『あ』と『ぁ』などがごちゃごちゃになってまともに入力できません。

 SCIM-Anthyで使っているかなテーブルとキーバインドはこんな感じ。モード切り替えでCaps_Lockや変換キーを押したりする必要がありますが、そこそこ打てるでしょう。(SCIM側からキーボードのマイコンへモード切り替え信号を送れればいいのですが)

2009-05-12

泊何水的政権交代論

 結構しばらくぶりです。雑多な理由であまり出てこれなかったのです。かなり頭にきているので、相応しくないと思いつつ載せます。もう選挙は八月以降だから(というより五月を逃すとそこまで解散できない)、今なら書ける。

 この間いろいろなことがありました。第二次泉山事件(苦笑)とか、別件逮捕事件とか。前者はどうでもいい話ですが(でも迷惑)、後者なんてマレーシアの野党弾圧と何が違うんでしょうか。たかが書類の書き間違いを口実に逮捕される国(しかも書き間違いですらない)、私たちは警察国家の入口に立っています。

 そもそも官僚は公僕であるべきで、政治家の手足で充分です。また政治家も国民の下にあらねばなりません(政治家だから偉いわけでない)。それが民主主義政治です。

 それにも関わらず、憲法改正して国民の義務を増やそうとか、憲法が何たるかを解しない政治家には辟易します。憲法は国家の形を定義する、すなわち権力を制約するものであって、国家が先にあるわけではないのです。

 また、あらゆる法律を厳密に適用するとほとんどの国民が何らかの法令(たとえば道路交通法、軽犯罪法、著作権法など)に違反するというのも、おかしい話です。これでは誰でも犯罪者にすることができてしまいます。

 本当は、国民を制約する法律は緩やかなもの、例えば慣習法や罰則なしの明文法であることが望ましいのですが、それを守らないものがいる以上、刑罰に頼るのは止むを得ないところもあります。しかし、誰でも犯罪者などという状態は警察や検察、行政に恣意性を与えることを意味します。過度の恣意性は法治国家とすら呼べず、このまま放っておけば東独のような警察国家が待っているでしょう。

 思えば、風見鶏の政権以来、この国は緩やかな自殺を進めてきました。それまでの社会自由主義的政策が改められて『古典的(とあえて言おう)』新自由主義的政策が推し進められ、ベビーブーマーたちを犠牲にすることで昨年までの好景気を演出しました。しかし、彼らを子供すら生めないような状況に追い込んだことが、将来の治安や福祉にどれだけの損失を与えるのか。私には見当がつきません。

 彼らは自分を権力と同一視する傾向にありますが、権力側に自分たちの存在が無かったものされている上に、社会の不安要因と見られていることに気づいていないか、見ないふりをしています。私はそれよりも下の世代ですが、見て見ぬふりはしたくありません。

 では、変える方法は政権交代以外にあるでしょうか。改革者が官僚に出てくると思いますか? 私は思わない。もし、政権交代なる擬似革命ができないのであれば、抵抗権の下に内戦か革命が起こってしまうでしょう。私は今以上の社会の分断は避けたいのです。


Yu Izumi@Izumi Labo,2002-2009.
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